越後ごぜ

越後瞽女の文化的な意義

瞽女たちが伝承していた唄には、明治以降に生まれた近代の流行り唄も多いが、江戸時代から歌い継がれてきたいっそう古い俗曲もあって、録音機がなかった時代のすでに忘れ去られた唄を生のまま伝えてきた点で、日本の民衆音楽の生き証人だった。また瞽女の芸能や生活はそれじたいが貴重な文化遺産であったが、しかしそれは瞽女の旅回りを支えた瞽女宿の制度や瞽女唄の良き聞き手たちがあってのことであった。1991年4月に高橋実氏とともに有志のみなさんに呼び掛けて結成した「瞽女唄ネットワーク」は、越後の村々の篤志家が無償で瞽女を泊めたいわゆる瞽女宿の制度にならい、いまだ瞽女たちの記憶を留めていた良き聞き手たちと現代の瞽女唄伝承者を通じて交流を楽しもうという試みだった。

                                                          九十五歳の小林ハル    在りし日の最後の瞽女三人 小林ハル・杉本シズ・金子セキ (新潟県胎内市 胎内やすらぎの家 1995.06)

 

 越後瞽女(ごぜ)の組織と業態      越後ごぜの組織と業態.pdf

 小林ハル晩年の歌声

■都々逸— 越後瞽女小林ハル96歳のときの演唱。歌詞が目出度い文句になっているのは瞽女唄の祝福芸としての性格からである。

■段物— 『明石御前』は、東海道の三島宿で、或る大名行列の道切りをし、情け容赦なく斬罪に処せられた幼い娘の父が、その大名を待ち伏せして、復讐を遂げた話である。ここにのせた部分は、娘の小菊が行列の前に飛びだして捕らえられ、処分を待つところ。録音は1996年3月、ハル女96歳のとき、胎内安らぎの家にて。

『瞽女(ごぜ)を知るための小事典』の内容

2023年11月刊『盲目の女性芸人 瞽女を知るための小事典 ―越後瞽女を中心に―』雑草出版刊 電子出版の予定。

記載項目

1.起源と歴史
曾我物語と女性の盲目芸人(補説 愛寿・菊寿/曾我物語)  瞽者と瞽女
瞽女の呼称  瞽女と盲女芸人(補説 座頭の弟子)  能・狂言のなかの瞽女
江戸時代の瞽女  さまざまな様態(補説 作曲もした瞽女)  歌舞伎の中の瞽女
瞽女唄と歌舞伎  瞽女の川柳(補説 瞽女の狂歌)  有夫の瞽女
座敷瞽女(補説 酒席の瞽女/座敷瞽女とはやり唄)  目明き瞽女
瞽女五派(補説 盲人五派/その他)  下賀茂大明神  妙音菩薩
相模の姫(補説 瞽女の元祖異説)  配当(補説 配当のもめ事)
2.近代の瞽女
明治の盲官廃止(補説 瞽女の生業を禁じる布達例/明治初期まで続いていた配当例)
近代の瞽女の零落した姿  近代越後の瞽女(補説 盲女性全体の中の瞽女の人数/越後の盲女子/盲女性の進路/鍼道指南学校開設願い)
杉本キクイ  伊平タケ  小林ハル
3.民間信仰
養蚕地帯と瞽女(補説 三味線の音)  聖なる来訪者  瞽女の信心
乳母嶽神社の由来  北九州の瞽女と稲荷信仰)
4.瞽女仲間の組織
素人の音曲教授との対立  瞽女頭  ごぜ松  規律  高田瞽女仲間規約書
中越瞽女矯風会  瞽女屋敷(補説 長岡瞽女屋敷の火事)
座元(座本)
山本ゴイ(補説 山本ゴイの由来異説)
妙音講(補説 九州の妙音講/音楽を司る妙音天/正月の歌い初め/瞽女祭)
瞽女縁起  御条目(ごじょうもく)  階級  はずれ(補説 離れ瞽女)
5.近代の越後瞽女
高田瞽女(補説 高田瞽女の数/三河国を回った瞽女)
長岡瞽女(補説 長岡瞽女の数/上方と下方/瞽女の家/組名と師匠の出身地/僻地を来訪した遊芸民)
刈羽瞽女  糸魚川瞽女(補説 糸魚川の女性盲芸人)  新飯田瞽女
中条(ちゅうじょう)組
三条組  浜瞽女  山瞽女  阿賀北瞽女  佐渡の瞽女
6.諸国の瞽女
青森の瞽女  盛岡の瞽女  下野国(栃木県)北部の瞽女
茨城の瞽女(補説 茨城県水郷の瞽女/長塚節著『土』と瞽女)
埼玉の瞽女と陰陽家  甲州瞽女  駿府瞽女(補説 東海道の瞽女)
名古屋の瞽女(補説 宿場の瞽女)  高山瞽女  岐阜の久須見瞽女
松本瞽女  飯田瞽女(補説 田地の譲渡)  加賀瞽女
高岡瞽女  九州福岡の瞽女(補説 九州南部の瞽女)
7.修業
入門(補説 弟子の入門金)  年季  師弟の呼称  初稽古
糸合せ  名付け  三年祝い  名替え(補説 入門後七年)
年明け振舞い  瞽女の祝言  芸名  年(ねん)落とし  縁切り
てま金  所払い  里帰り  出稽古  寒稽古  寒声
8.旅回り
瞽女の年賀(補説 瞽女の回らない家)  巡業の規制(補説 芸人の旅回りと治安)
手引き  瞽女笠  瞽女かぶり
瞽女宿(補説 ごぜどめ/瞽女の宿帳/江戸の瞽女宿/茨城の瞽女宿)
仲間宿  門付け(補説 信州飯田瞽女の瞽女宿と門付け)
宿唄(補説 段物と瞽女宿の夜)  ざるまわし(花集め)
宿払い  彼岸瞽女  農業と瞽女  節季瞽女(補説 雪降り瞽女)
祭りがけ  上州廻り  旦那場
巡業地争い(補説 甲州瞽女の巡業地争い/飯田瞽女の巡業地
争い/地域を越えた交流)  竿さきの年貢米
9.瞽女唄
瞽女唄の歴史  瞽女唄の特徴(補説 方言と瞽女唄)
子別れの物語  瞽女唄の分類(補説 瞽女唄と民謡/秋田の民謡と瞽女/古い民謡を伝えた瞽女)
瞽女唄の伝承(補説 瞽女唄の個人差/瞽女唄の再生/瞽女と写本)
やんれ節(補説 瞽女唄と八木節の関係)  雑歌  門付唄
三味線  しのびバチ  四ツ竹  段物
ひとこと  一流(ひとながし)し(補説 音楽性)  読む
祭文松坂(補説 祭文松坂の起源(異説)/祭文松坂と神仏信仰との関係)
瞽女松坂(補説 松坂)  祭文
口説(補説 瞽女がうたった越後節/曾我物語と口説形式/創作口説)
和讃  咄松坂  岩室  こうといな  しょんがいな
祝松六段の調べ(補説 『盲目物語』と三味線曲)  源氏節
忠臣蔵ポンポコ節
(1)口説の演目
「鈴木主水」(補説 飯田瞽女の写本)  「おふで口説」  「安五郎口説」
「金次口説」  「おしげ口説」  「お久米口説」  「お久口説」
「お吉清左」(「清三口説」)  「三人心中口説」(補説 三人心中事件)
「上原口説」  「おもゑくどき」  「まま子三次」  「松前口説」
「祝い口説」  「御本山口説」  「二十八日口説」  「石童丸口説」
「老人口説」  「馬口説」  「米口説」
「鼠口説」(補説 その他の滑稽口説)  「赤猫口説」
「へそ穴口説」(補説 万歳の艶笑物)  「お女郎口説」
「地震口説」  「洪水口説」  「次郎さ口説」
(2)段物の演目
「順礼おつる」  「葛の葉子別れ」
「八百屋お七」(補説 「八百屋お七」と数え歌の形式)
「佐倉宗五郎」  「明石御前」  「小栗判官」(補説 盲僧と段物)
「山椒太夫」(補説 ウバ竹と大蛇/「さんせう太夫」の成立)
「信徳丸」(補説 神を脅迫する文句)  「石童丸」  「景清」
「焼山巡礼」  「山中団九郎」  「平井権八(白井権八)」
「赤垣源蔵」(補説 赤垣源蔵の芝居)  「天野屋利兵衛」
「片山万蔵」  「石井常右衛門」  「自来也」  「三十三間堂棟木の由来」
(3)雑歌
万歳(補説 才蔵の詞/万歳の文句)  発ち唄
新保広大寺(補説 桔梗の手拭い/新保広大寺の歌詞例/新保広大寺と似た俗謡/富山の古大臣)
細か広大寺  朝広大寺  三条広大寺  二上がり新内
庄内節  輪島節  新磯節  鴨緑江節  おけさ  春駒
しげさ節  県づくし  はやり唄
(4)その他
義太夫  常磐津  長唄
10.その他
隠語  瞽女と伝説  瞽女と昔話  津軽三味線と瞽女  瞽女の小説
瞽女に関する諺  瞽女唄録音資料  瞽女唄映像資料  歴史上の瞽女の絵
瞽女に関する文献
11.史料
瞽女縁起
糸魚川瞽女の嘆願書
長岡瞽女所持の手紙
高田瞽女仲間の規約証(明治十七年)
高田瞽女仲間の規約証(明治三十四年)

各地の瞽女補記(2006年、各県立図書館からの情報です。)

▽千葉県の瞽女補記
『千葉県の歴史 別編民俗2』(千葉県史料研究財団 千葉県 2002 P397 信仰の要所と芸能の場
「地蔵寺の山門前にあるお手洗いの奉納者の末尾には瞽女キコと若者中とある記名が並んでしるされている。また、この瞽女には常州鹿島とあるものと中州布鎌(千葉県印旛郡栄町か?)とあるものなどを見ると、この地蔵寺がこの地方の瞽女たちの拠点の寺であったことを窺うことができる。」
  ※地蔵寺:千葉県印西市別所 1005 Tel 0476-42-7387

▽東京都の瞽女補記
 次のような文献がある。
①「石橋供養塔と瞽女」(片桐譲著『田無地方史研究会紀要』19号 p.27-30 田無地方史研究会 1999.3)は、東京都保谷市 (現西東京市) 住吉町にある、 石橋供養塔に銘文されている「岩崎瞽女」についてその人物像に論及する資料。
②八王子円福寺蔵『武蔵瞽女所伝』(瞽女縁起・瞽女式目)
③江戸川区笹ヶ崎須原家所蔵本
④「瞽女泊順番帳」(法政大学封建社会研究会編『田島家文書』1977)
⑤「諸人足瞽女泊リ控帳」(同上)
⑥「諸人足瞽女泊明俵水車勘定帳」(同上)

▽神奈川県の瞽女補記
 神奈川県のごぜに関する資料
①小寺篤著「芸能地名考―藤沢「瞽女渕之碑」の周辺」(『神奈川文化』36-4 No.332 1989年10月 神奈川県立図書館発行 P.6-13)
②伊藤節堂著「瞽女唄 『小栗判官照手姫』」 (『わが住む里』36号 1985年1月、藤沢市中央図書館発行 p.1-10)
※どちらも神奈川県藤沢市にある「瞽女渕之碑」について触れている文献です。これらの文献によると、「瞽女渕之碑」とは、延宝年間(1673-1680) に藤沢市を流れる境川という川の淵で一人のごぜが溺れ死んだことに由来する碑です。亡くなったごぜが越後のごぜかどうかは不明です。

▽愛知県の瞽女補記
1)調査結果
愛知県内に瞽女が存在したことを示す資料は、これまでにほとんど見つけることはできておりません。わずかに下記の資料が見つかります。
①『西尾町史』上巻 第三編 行政 第二章 藩治 (317頁) (1の引用「会ゲ山に」の部分に注として引かれていた資料)…「又、瞽女とて、女盲人の三絃など弾き、歌など謡ひて銭を乞ふことを許せり。(中略) 又、宝暦年間の西尾図に依れば、当時、瞽女屋敷は会ゲ山にあり」
 *西尾町は現在の西尾市。

▽愛媛県の瞽女補記
 当館に、瞽女の生活などの実態について詳しく記した郷土資料はありませんが、伝説の類でしたら『愛媛県百科大事典 上』(愛媛新聞社)、『伊予の伝説』(日本の伝説 36 角川書店)、『伊豫むかしむかし 二』(あけび書房) に記述があります。
 瞽女石…東温市(旧温泉郡重信町) 上林峠の坂道にある人が座った ような大きな岩にまつわる伝説。
 瞽女が峠…八幡浜市保内町(旧西宇和郡保内町) 北部の峠の地名の由 来に関する伝説。『伊予の伝説』 p 13
 瞽女が峠…屋島の合戦に敗れた平家が、瞽女が峠において瞽女を、その言葉なまりで関東武士を聞きわけるための見張り番としたという伝説。『伊豫むかしむかし 二』P.12
 瞽女のゆうれい…上林(旧温泉郡重信町)の瞽女石にまつわる伝説。
以上、石にまつわる話と峠にまつわる話の二つがあるようです。

▽熊本県の瞽女補記
 熊本の瞽女についての研究はあまり進んでいないようです。
①『くまもとの女性史』(くまもとの女性史編さん委員会編. 熊本日日新聞情報文化センター刊. 2000)では触れられていません。
②『聞書水俣民衆史 1 明治の村』(岡本達明・松崎次夫編著,草風館刊. 1990)の中に「回り来る者たち」という章があり、「瞽女と琵琶弾き」(264-265頁)について書かれています。その部分を引用しますと「瞽女の琵琶弾きのて、うんと回って来よったたい。瞽女は盲の三味線弾きですたい。琵琶弾きもほとんどよう見えん人ばかり。盲になるまで医者どんにもかかりゃ得ずにな。」「瞽女は天草からよう来よらしたったい。天草瞽女ていうてな。五、六人連れ立って、目の見える者に下がって来よらしたったい。来れば泊まらせてな、寄って聞きよった。瞽女が来れば、みんな喜びよったたい」とあります。
③また熊本県の行政資料である「県政資料 57-2 諸務変革調」(明治2年)の中に、女人口合」という項目が設けられており、「五百弐拾三人瞽女」という数が書き込まれています。これは、明治二年に熊本藩が「弁官御役所」に宛てて提出した書類の控えです。

▽大分県の瞽女補記
大分県内の瞽女に関する情報は見つけることができません。また 盲目の芸人ですが、 大分県内には、琵琶盲僧と呼ばれる人がいました。 (最近までいましたが、現在は不明) 大分県内の盲僧は平家物語を語るだけでなく、地神経や荒神和唱などを語る仏説座頭です。