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雪割草 ショウジョウバカマ イチゲ シュンラン フクジュソウ (長岡市 雪国植物園) 2024年3月15日
春 ハルリンドウ 夏 クルマユリ
佐渡の四季の風景に合わせてさまざまな民俗芸能を紹介しています。ユーチューブで見る事ができます。
中国語版 http://www.youtube.com/watch?v=m8NnBJ3WvUo
日本語版 佐渡の芸能がおもしろい・佐渡芸能ファンタジー (youtube.com)
平成の大合併以前、新潟県には百十一の市町村がありました。それらの自治体の主な伝統芸能を始め地域の自慢や特産品をあげてもらったものです。アンケート調査は中越地震(2004.10)直後だったにもかかわらずほとんどの自治体からご協力いただきました。なお、このアンケート調査は、2004~2006年度、県立女子短期大学の学内共同研究事業「地域学〈新潟県〉の講義内容に関する研究」の一環として行ったものです。
地域学・市町村アンケート結果(PDFファイル) 地域学・市町村アンケート.pdf
言葉が人を傷つけるといっても、差別的な発言のほかに、思わず言った言葉が人を傷つけることもある。近日の新聞にこんな話があった。重い病気の検査を終えた知人に、茶飲み話のついでにふと「あなたは何歳まで生きるつもり?」と冗談半分に聞いてしまった、という。それがかなり相手を傷つけてしまったらしい。私にも50年以上たっても忘れられない場面がある。会社の入社式に行く駅からの道で、歩きそうにしてる新入社員に、なにげなく「足どうしたの?」と聞いた。すると彼は、「生まれつきだぁ!」と投げつけるように言った。小児麻痺か何かで足がもともと歩きにくくなっていたのである。それを、怪我でもしたかと思ってうかつに言った言葉が彼を傷つけてしまったのだが、後味悪く今も心に残っている。申し訳なかった。
宮柊二(1912~86年)…新潟県の魚沼堀之内町出身の歌人。長岡中学校卒業後、昭和七年に二十歳で上京。歌集『山西省』に言う。「私は未教育補充兵として、昭和十四年八月から同十八年十月まで中国大陸の戦陣に従った。「兵隊は消耗品」といふ言葉が、当時野戦に於いて公然と流行った。さうした言葉が象徴するところの荒涼を考へて見たらいい。‥‥戦友の何人かは自殺を図った。」
大平洋戦争は過去のものとなったが、戦争経験者の短歌は今でも我々の心に訴えてくるものがある。これも英霊の声ではないだろうか? 次のような短歌も詠んでいる。
またまたつぶやきたくなった。世論調査によれば、若い人ほど敵基地攻撃能力を日本が持つことに賛成らしい。どんな思いからなのだろうか? 北朝鮮はさっそく反撥した。北朝鮮の脅威からなのだろうか。しかし、もし北朝鮮がアメリカや日本に実際の攻撃を行った場合は、おそらく北朝鮮という今の国家は崩壊するのではないか。崩壊の途中で日本にミサイルが飛んでも来よう。その時はもはや敵基地攻撃能力はだめ押しに過ぎなくなるのではないか。
また、若い人たちはみずから兵士になることを覚悟しているのだろうか。自衛隊が守ってくれるから、自分が直接的に戦争に関わることはないと思っているように、私には思える。なぜなら、今、基地に苦しむ沖縄への関心の低さを連想するから。
インターネットの商品購入で私もサギに会いました。アマゾンで格安で出品されていた品物を注文しました。すると、代金支払いの案内がメールで送られてきました。支払いはこちらで、と、別の画面で手続きするように案内があり、クリックすると、まったくアマゾンの支払い画面だったので、手続きをして、コンビニで代金を振り込みました。コンビニの領収書もまったくいつもと変わらないものでしたが、それっきり品物は届かず、メールでの連絡もとれず、アマゾンで調べてもらいましたが、まったく不明でした。金額は2,464円だったので被害額は少ないですが、今後は気をつけたいと思っています。
ああ、とうとう武力には武力で対応するのか。こんなに時代が進んでも個人と個人の争いが絶えないこの社会では、家族が殺されたとしても自分で個人的に仇討することは禁止されている。法によってその争いを仲裁し、また殺人者に対する被害者の個人的な報復を許さず、かわりに国家が罰を加えることで殺人の連鎖を防ぐのが近代国家。その近代国家が、他の近代国家とは大量の殺戮兵器によって戦い殺し合うという。なんとなく虚しい。
どんな努力をして、未来の平和を築いて行けば良いのだろうか。宇宙のなかにまったく例外的に出現したわれわれ生物・人類、いずれは宇宙の中にすべてが消滅すると思うのだが、その消滅を待たずにみずから滅んでいくのだろうか。
ウクライナの戦禍によって東アジアの中国による台湾武力侵攻が恐れられている。直接日本が攻められるわけでもないのに、日米同盟があるから日本も巻き込まれるという事態が考えられるようだ。今回の参院選の候補者をみると軍事費を増額しようという勇ましいことを口にする人々が増えつつあるようだが、戦争はかならず人間の犠牲を伴う。我々の息子、弟、孫の誰かが兵器を操作しなければならない。私たち戦後生まれの年配者は、幸いなことに一度も日本が戦地になるような戦争を経験せずに一生を終わりそうである。自衛隊員も戦争放棄の憲法に守られて外国との戦闘で命を落とす隊員はいなかった。一度も戦闘にかり出されることがなく平和に暮らしてきた、こんな世代の私たち年配者は、次の世代の人々が戦争で犠牲になることを見てはいられない。軍事費だけ増やしても戦闘に参加する人間、命の危険にあう人間がいてはじめて防衛も成り立つ。また戦争は自衛隊員の死だけで終わることはない。一番矢面に立つ自衛隊員だけに戦闘を任せておいて、我らは安穏と暮らす、そんなことはできない。われわれの息子の死を思うことはできないのである。
二十一世紀になっても人間はまだ戦争をやめない。一発のミサイルが空を飛んで行く。地上に落ちて炸裂する。多くの負傷者と死者が地上に転がる。誰が討ったのか。‥‥いや、俺は上官の命令でこのボタンを押しただけだ。‥‥戦争では人間がたんなる標的に過ぎないのだろうか? 中桐雅夫が戦争体験を詠んだ戦後詩に「戦争」と題する作品がある。
砂にまみれた人間の頭、
無限に延びる赤い糸、
溶けてゆく金属、うすく開いた眼、
半裸の女、
世界の端で、
それらを僕は見たように思った。
ゴムの葉が裂けとび、
僕らは夢中で走った、
僕らは狂った、
右手の人差指が僕の意思に反してぴくっと曲り、
君の姿は消えてしまった、
僕は君を殺したのだ。
僕の指と君の心臓とをつないだちいさな鉛の塊り、
ちいさな歯、ちいさな足、すべてのちいさなもの、
世界の端で、
それらを僕は見たように思った。
だが、ピイタア!
なぜ君は、君を殺した僕に微笑みかけるのか。‥‥
以下は省略するが、詩の最後は、
生き残って、生きつづけるということが、
死よりももっと苦しいことを。
と結ぶ。
今後、生き残ったロシアの若い兵士たちも、ミサイルの先、弾丸の先に自分と同じ人間がいたことを思い出して苦しまなければならないだろう。仏教の修羅道の世界はこの現実にも存在しているようだ。悲しいかな戦争。のろうべき戦争。
◇新刊予定(2021/02) →*2022.01に出版しました。
明治初期の毒婦小説にかんする研究書を今年刊行する予定です。
明治九年、東京浅草の丸竹という旅館で一人の男を殺した罪で逮捕され、裁判にかけられたのち、明治十二年一月三十一日に結審を迎え、市ヶ谷刑務所で斬首刑に処せられた群馬県生まれの高橋お伝の事件と文学をとりあげたものです。
お伝が起こした事件は当時の新聞をにぎわし、また仮名垣魯文著『高橋阿伝夜刃譚』と岡本勘造著『其名も高橋/毒婦の小伝 東京奇聞』が競い合って出版されたことでも有名です。
朝日新聞の読者投稿欄に国語や数学は必要だが古典は不要ではないかという高校生の意見が載っていたけれども、どうでしょうか?
確かに和歌や物語などの日本の古典は高校生のこれからの人生で直接役に立つことはないと思うし、99%の若者が高校に進学する現代では、訳の分からない古典の言葉にまったく興味が持てない生徒もたくさんいることでしょう。
しかし、言葉というのはただ実用的なコミュニケーションのためだけにあるのではありません。私たちの感情に働きかけるものでもあります。そして私たちの感情に働きかける言葉(詩や文学)の源流には古典があります。(ただし、その言葉を感じ取るためにはまず教師のよき指導が必要ではありますが――)
はるか昔の人の心が込められている古典を読むことは、現代という時間を越えて過去に生きた人間と触れあうことになります。現代は、過去からの連続です。古典にふれることは、その連続を感じることにもなります。
人間は実生活に役立つ実用的なことだけで満足するものではありません。たとえば食べ物の料理にしても、それは体に必要な栄養素をとるためにだけあるのでなく、見た目の美しさや美味しさが必要です。古典はいわゆる教養にあたります。現代語だけでなく、過去から伝えられ、読み継がれてきた古典の言葉を知ることは、知識の豊かさになります。また私たちの文化にふれることにもなります。人生の先輩として私は、古典を学ぶ機会だけは高校生に与えてやりたいと切に思います。
それでも、不要だと思う生徒はいるでしょう。しかしまた、高校生のときはあまり関心が無かったけれども、大人になってから、ふと思い出されて興味を持ったという人も多くいます。そのような人々の学ぶ機会も無くしたくないと思っています。
現代はすごく速い時間でさまざまな物事が移り変わっていきます。今日学んだことも明日は役に立たないということも出てきます。しかし古典は、それぞれの時代によって意味内容を変えながらも、何百年も長く読み継がれることができるものです。
◇大津波から人を守る建築物の愚案(2021/03)
東北の被災地で、津波が来るとさらに1メートルぐらい上がる堤防を作ったという。それをヒントに素人のアイデアを考えてみた。たとえば、避難ビルになっている市役所の建物があったとする。その最上階を水に浮かぶ構造にすることはできないか。普段は階下と連続しているが、人々が避難して最上階に上がると床や壁面のハッチを閉めて、水が来たら浮き上がるようにする。もちろん流れないようにして、水が引けば元の位置に戻る。突飛な妄想のようだが、現代の建築技術では充分可能なように思うが、どうだろう。
問題点:津波の寄せ波、引き波の強さに堪えたとしても、ある程度ゆとりをもって人々が避難しないと、無情にもハッチを閉められて取り残される犠牲者がでるかも知れない。そこが、不安でもあるが。
◇日本文化概論の講義を終えて(2020/02)
日本文化概論の宗教意識の講義では死者の扱いについても少しふれたが、若い学生たちは身内の葬儀を経験する機会は少ないと思う。参考のために少し補足しておきたい。
明治に来日した小泉八雲ことラフカデオ・ハーンの日記(1891.11.26)に、教え子の死に関連して、弔いの様子を記しているところがある。外国人の日記とはいえ、かなりよく出雲地方の死者の取り扱い方が述べられているので、それをかいつまんで紹介しておこうと思う。
a 出雲では火葬はほとんど行なわれず土葬である。
b 死者が出ると遠縁の者に訃報を告げる。
c 僧侶を呼びに行く(お坊さんは知らせが来ないうちに予兆でその死を知るという)。
d 亡骸は仏壇の前の床に置く。
e 頭の下には枕を置かない。
f 悪霊を祓うために抜き身の刀を足の上に乗せる。
g 仏壇の扉を開け位牌の前に蝋燭を灯し線香を焚く。
h 知人は皆香を贈る(葬式以外のときに贈るのは忌まれる)。
i 神棚は白い紙で覆う。
j 家族の者は神社に近づいてはならないし、鳥居をくぐることも禁じられる。
k 遺骸を安置した部屋の戸には屏風を逆さまに立てる(老人の場合は逆さまにしない)。
l 知人が遺骸の傍らで念仏を唱える。
m 僧侶が来てお経を読み、埋葬の準備が始まる。
n 湯灌をして白衣を着せるが、着物は左前に合わせる。
o 親類縁者は髪か爪を切って棺桶に入れる。
p 棺桶には6厘の銭を入れる(六道の入り口の六地蔵に渡す銭)。
q 葬式の行列は家から出る。
r 僧侶が先頭に立って鈴を鳴らし、子どもが死者の位牌を持って続き、その後に行列が白装束で続く。
s 出雲では大人の埋葬は夜に行なう。
t 行列はまず寺に行き、そこで一儀式を行ない、墓地へ向かう。
(以上、『小泉八雲小泉八雲作品集 1 ―日本の印象―』1977、森亮訳、河出書房新社 a~tの記号は引用者が付けた)
「村八分」という言葉があったことは知っていると思う。江戸時代、村落の決まりに従わない家との交際を、火事と葬式を除いて断つというものだが、火事は延焼や類焼があるから当然であるけれども、これに葬式が加わっている。つまり、むかし葬式は死者が出た家が取り行なう儀式ではなく、村中で行なう村の儀式であった。
上の小泉八雲が記した葬式の記事は、その後の地方で行なわれてきた葬式の様子とほぼ同じと思われる。これに少し補足してみる。
a 土葬は60年以上前には地方では一般的だった。
b の訃報の知らせは親族ではなく他の者がするのが習慣と思われる。
c 死者が息絶えたときその霊魂が自分の所属する寺院に行くという話もよく聞く。
f 今は短刀の刃は抜かないようだ。
i 神棚を封じるのは死をケガレとする考えからである。j も同じである。
n 湯灌の湯の温度を調整するときは、水にお湯を差して調整する。日常でこのような調整をするのは禁忌。
p 棺桶に銭を入れるのは死者があの世へ旅すると考えるからである。今でも足には草鞋を履き杖を添える。
現代では葬儀会社にお任せのことが多いので、こうした知識は次第に民間から忘れ去られようとしている。たとえば死を不吉なケガレとすることから、日常でお湯の温度を調整する場合にはお湯に水を入れて行ない、その逆をすることは禁忌だった。とりわけ危険な仕事をする労働者はこの禁忌を犯すことを嫌った。また死者の白衣を作るときは同時に二人で裁縫をするが、これも日常でしてはならない禁忌だった。 (2020/02)
◇日本文化概論の講義を終えて(2019/02/06)
日本的心情の講義では、「相手志向的性格」や「恥」「気」について述べましたが、インターネット上での「いじめ」の問題を話題としてとりあげた学生がいました。みんなの前では個人的な意見を押さえて周りに同調しようとする傾向がある日本人も、ネット上では言いたい放題の振る舞いをする場合があるとの指摘です。ネット上で匿名の発言をするとき、確かにそこには周りの目を気にする「恥」の倫理観は働かないのでしょう。周りに「気」を使うことも不要だと感じるのでしょう。ネット人間の匿名発言には「日本的心情」が当てはまらないようですね。
◇過去の歴史は自分が経験したことでも忘れていまうものが多い。近代になると労働者がサラリーマン化した都会では、女性は家のなかで家事をするものという観念が生まれた。でも、地方では肉体労働でさえ、男以上に女たちが貢献していた。 フランス人ギュスターヴ・グダローが明治19年頃、群馬県・新潟県・長野県を旅したときの旅行記『仏蘭西人の駆けある記』(井上裕子訳、まほろば書房、1987)に、野外で重労働をする女性たちが多かったことを特記している。たとえば、直江津から長野方面への鉄道建設が行われていたころ、信州から山道を越えて石材を積んだ荷車を引く人夫たちも男たちよりも女たちの方が多かったとある。そういわれれば、むかしまだ建設用の機械が少なかったころの土方仕事では女たちが多く働いていたことを思い出す。とくに農村部の女性たちは田畑でむかしから力仕事をしてきた。近代になってもさまざまなインフラの整備に女たちの汗水があったことをあらためて思う。(2018/03/08)
◇外国のニュースで「政府系新聞」という言葉が出ることがある。まさか日本に政府系新聞があるとは思わなかったが、首相の憲法観は読売新聞を読めば分かるという言葉が安倍首相当人の口から出たとき、びっくりした。とうとう日本にも政府系新聞が出現したらしい。国連の報告者から日本のメディアの独立性が問題視されているのも理解できる。かの太平洋戦争の時代には新聞やラジオが「大本営発表」と称して、政府の報道をそのまま伝えるだけだった。おかしいと思う。 2017.06.05
◇昨今は地球温暖化が話題になっている。これは人為的な問題らしいけれども、長い地球の歴史上には氷河期もあり、それまでの生物が滅んだこともあったという。今のところ、宇宙には人間のような生物が住む星は見つかっていない。ということは、地球上の生物の存在も、宇宙の中の異例中の異例であって、われわれはいつ滅びても不思議では無いようだ。そんなことを考えるにつけ、この夏、日本文化についての拙著を著わしたけれども、そこで論じたことなどは実に些細なことだと感じる。異例中の異例のまた異例にすぎないと思うからだ。ただし、異例ですまないのが意識をもった人間のひとり一人で、宇宙のことを考えるのも、この取るに足りないちっぽけな異例ということになる。しかし宇宙はこの異例な個人個人の意識のなかにしか存在できない。 2016.12.12
◇最近の保守的な世論には戦前回帰のような動きが見られる。たとえば古代神話を歴史的に受け容れようとするような事である。古事記などを多少研究してきた者としては、なんともにがにがしい思いである。明治維新直後もそのような動きがあった。これに対して福沢諭吉は『学問のすゝめ』(十四編)で、次のような批判をしている。
「古を信じて疑わざりし者は、過ぎたる夏の景気を忘れずして、冬の差入りに蚊帷を買込むが如し」 (古代を信じて疑わない者は、過ぎた夏のころを忘れることができず、冬が来るころに蚊帳を買い込むようなものだ。)
福沢さん、百年以上たった現代でも、神武天皇を実在人物と考えるような、古代を信じる政治家さえ内閣にいるんだよ。悲しいことだ。 2016.11.22
◇自民党の憲法改正草案の前文に「家族」という語句が入った。「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」とある。つまり個人では無く家族が国家を形成する単位となっている。また、現安倍政権の高市早苗総務相の政府によるマスコミ統制的な発言も印象に新しいが、最近ある本を読んでいてこんな文章に出会った。
「今日においても、古い家族制度の復活を望む声があるが、それは集中的国家権力の強化によって社会秩序の安定を望む陣営からあがっていることは、改めて指摘するまでもなかろう。」P.15
あまりにも今日の保守勢力の考えにぴったりしているので驚いた。これは実は1967年、今からなんと50年前に書かれた本(作田啓一『恥の文化再考』筑摩書房)のなかの文章である。かなわぬ保守の夢。この半世紀、家族のあり方は否応なく変化して今日に至っている。三世代が一つ屋根に住む家庭での「嫁」の悲惨さも目にしてきた。未来に向かって親子や地域の関係はどうあるべきなのだろうか。後ろ向きでは無く、あくまで未来に向かって。 2016.03.27
◇忙しいときの仕事処理法 現代人は多忙な人が多いようだ。やらなければならない仕事が五つ六つと重なったときは、パニックになってしまう。どうしたらいいのだろうか。考えてみれば普通の人は二つ以上の仕事を一緒に平行してやることはできない。もし私が二人いたらどんなにかこの仕事がはかどるだろうと思うことがあるが、実際には一人の私が今やれることは一つだけなのである。だから、五つの仕事があるときは、今この時間にどれをやるか、次にどれをやるかという順序を決めるだけで、それが決められないパニックなのである。通常は、締切と分量を考えて順序を決める。締切の早いもの、分量の少ないものを先にやる。一人の人間がやれることは、同じ時間に一つだけ。さらに、人は休息や睡眠をとらなければならないから、一ヶ月もかかりそうな仕事も、一日一日に分割されている。また、人間の頭は同じことだけを継続して考えることは苦手のようだから、長くかかる仕事の合間に短くてすむ仕事を入れるのが良いと思う。一人の人間が同じ時間にやれる仕事は一つだけ。その時間のなかでいかに効率よくやるかであり、能力を超えた仕事はやれないのがあたりまえ。忙しいといって、自分を追い込まない方が良い。そう思うが、みなさんはどうでしょうか。 2016.02.27
◇文部科学省が先日国立大学に入学式や卒業式で国旗の掲揚と国家の斉唱を行なうよう要請するというニュースがありましたが、その後これに反対する「国立大への国旗・国歌要請 撤回を求める会」が結成されたそうです。私も政府によるこのような要請には断固反対です。保守派が「君が代」を国歌に格上げしたのは、1999年だったと思います。それまで、なぜ国歌とされなかったかについては、歌詞の内容が、天皇をあたかも君主として称え、天皇制の時代が永遠に続くことを願う内容であることから、国民を国家の主人公とする現代日本の民主主義国家の在り方にそれがそぐわなかったためです。戦後、新しい憲法の下に出発した日本では、国歌をどうするか(民主国家にふさわしい新たな国歌を作るべきか否か)が、国会の場でも国民の間でも大きな議論にならないままに、明治憲法下の天皇主権の精神を反映した「君が代」が国歌に準じて歌われ続けていました。そして「君が代」について議論しようとしても、それすらタブー視する雰囲気がありました。こんないきさつもありますので、まして政府がなし崩し的に大学にまで国歌の斉唱を要請するようなことには断固反対です。2015.04.29
作曲者が現われなかったのでカットします。
*徳島県海部郡海部カイフ町
*「海夫(かいふ)」集団…「松浦氏一族をはじめとする中世の海の領主たち、その下にあった「海夫(かいふ)」の集団は、西北九州のこうした大小の島々やリアス式海岸に根拠をおいて、列島の海はもとより、中国大陸・朝鮮半島などの海域で活動したのである。」(海と列島文化第四巻『東シナ海と西海文化』1992、綱野善彦解説)
*「海夫(かいふ)」の呼称は十三世紀前半には公的文書には用いられなくなるが、十、十一世紀ごろには「九州西武の諸国・諸島の海民が一般的に「海夫」と呼ばれていた」(海と列島文化第四巻『東シナ海と西海文化』1992、綱野善彦解説、P.16)
*『魏志倭人傳』の「末盧国」(=松浦)のところに「又渡一海千餘里、至末盧國、有四千餘戸、濱山海居、草木茂盛、行不見前人、好捕魚鰒、水無深淺、皆沈沒取之。」とある。すなわち、卑弥呼の時代から松浦の人々は海に潜って漁をしていた。
日本海では能登半島の輪島に筑前国宗像の鐘崎(福岡県)の海女たちが来ていることが知られるが、その鐘崎の海女の期限は済州島の海女だとの説がある(野間吉夫「筑前鐘崎の海女聞書」、『日本民俗文化資料集成』4「海女と海士」1990)。―能登と佐渡とは近い。済州島出身の海女は太平洋側では千葉県の房総半島各地にまで及んでいるという(金栄・梁澄子『海を渡った朝鮮人海女』1988)。
*佐渡の海府…文献:海と列島文化第四巻『東シナ海と西海文化』1992、P.320、北見俊夫注 18。柳田国男「佐渡の海府」(大正9年『秋風帖』)、同『北小浦民俗誌』。和歌森太郎「海人族の移動」(『日本民俗誌大系』七)。北見俊夫「『海の道』と佐渡」(『日本海島文化の研究』1989)
北前船の航路を大坂から西廻りに日本海へ出て蝦夷地までという日本列島の閉じられた航路とだけ考えていいか?
★加賀藩の銭屋五兵衛は? 半島との密貿易は?